越前国・吉田郡・森田(もりだ)局
タイミングよく面白い出品物がやって来ました。だいぶ以前からの弊社の会員さんの遺品で、アルバム70冊程のコレクションが関東の買い取り屋さんに流れていたのです。高級品は少なくて、殆どはブック単位でヤフオクで既に売られたのですが、手彫を含む数冊が弊社にやって来ました。その中の2冊が故人の地元の福井の消印です。そちらでは名家の出で、お名前に心当たりが有ったので、地元の情報通の方に連絡を取り、調べたところ完全に素性が知れました。切手自体のコレクションの手彫の部分にも、地元印の方にも竜はゼロでしたが、記番印と二重丸は結構揃っているように見えました。【ビジュアル印影集】の完成度を見るには格好の材料です。
越前と若狭ですが、記番印に関しては、印影集のデータが完勝です。故人のコレクションに有って印影集にない物は皆無で、その逆が結構有りました。記番印は前回書いた、第10回フロアの特集号のパワーが強烈ですから。でも、二重丸では様相が変わります。預かった出品物に有って、印影集に載っていない物が複数あるのです。この現物のセールは次回の5月末のフロアに100点弱並べますが、単片でKG稲多・脇本・「紛来付箋」に安澤・そして『森田』が印影集に載っていないのです。何れも私の記憶では少ないかなと思っていた物ですが、印影集にデータなしという事でその希少性が再確認出来ました。
注目すべきは森田です。印影集の最初の原稿の該当ページを見たのですが、越前の最後の頁の吉田郡の欄にこの局が無いのです。図録の編集方針が、明治郵便局名録=田辺卓躬編の復刻版の順に並べているのですが、この本にもこの局は欠片も有りませんでした。でも現品が有るのです。連続便で2通です。1通が無切手での越前吉田森田宛、N2B2東京9.7.6→KG越前森田 脱落跡無し。もう1通が無切手(或は脱落)で同じ宛先、N2B2東京9.7.2→配達局で未納倍額の房2銭ペア貼 KG越前森田です。使用例もへんてこですが、物に厭らしさは有りません。コレスポンデンスなのですが、差出人が何らかの事情が有って何時も差出時には切手を貼らなかったのかな。
この局の沿革を調べてみたのです。田辺本に出ていないという事は駅逓局達書に載っていない局なのでしょう。郵趣出版の全国郵便局沿革録・明治篇のデータでは、「舟橋」14.12.15=五等郵便局(開局)中略 24.11.1 「稲多」(いなだ)と改称・ 39.1.1 「森田」(もりた)と改称です。鳴美の分厚く重い2分冊の日本郵便局名鑑では、「稲多」 9.6.28 五等郵便局で設置・14.12.15 廃止=「舟橋」に引き継ぎです。24.11.1 「稲田」と移転改称・39・1.1 現名称=「森田」に改称です。この2冊の立派な局名録にもKG越前森田の影すら見いだせないのです。でも、現実に物が有るのです。コレクションのリーフにもそれらしき記載が有りました。地元で調べたが開局時期は不明になっていたのです。
念の為に新版・明治郵便局名録を繰ったら、186ページの上から2行目に有りました。吉田郡・森田(もりだ)9.6.1 五等郵便局で開局です。理屈に合うのですが、近辻さんは9年6月の稲多=森田の情報を一体どこで見つけたのでしょうか。是非聞いて見たいと思います。印影集の最初の原稿では空白だった「森田」ですが、編集者にお願いして、私の情報で修正をして貰いました。森田=もりだ・9.5.1? 五等郵便局 →稲多 9.8ー 五等郵便局→ 14.12ーです。森田はKGが存在するとの表示ですが、図版は有りません。現時点ではまだ売りに出た記録が無いのです。そして房2銭ペア貼のへんてこな使用例のエンタですが、誰が買うかは既にはっきりと見えています。余りにもドンピシャな不思議な出会いに我ながら唖然としている次第です。改めて認識できました。資料を掘り当てた近辻さんはご立派です。そして探せばこんなケースは一杯見つかると思います。この印影集がきっかけになって、記録の修正にお役に立てば幸いですが。