切手の墓場の【かつおつり】シート

Lot1036の【かつおつり】ですが、オークションでは人気銘柄です。ヤフオクでの落札実績の50~70万はちょっと無茶ですが、押しなべて20万位の落札値は当たり前かと思います。でも、私にはその値段を率直に受け入れられない理由が有るのです。印象深いディールが、ある種のトラウマになっています。このアイテムの素性はしっかりした文献も出ているので、そこに記されている事実はさらりと流します。私しか知らない秘密を開示いたしましょう。世に出たシートは無目打のプルーフが2シート、目打・糊付が2シートだと思います。2種セットで郵政博物館=ていぱーくに入っています。時系列で並べて見て、目打有は昭和41年に新生スタンプが@35,000円で分割して分譲、超有名なお話で、一般的に【かつおつり】とはこの品物を指すのです。時代が下がって、無目打は郵趣サービス社が分割分譲しています。こちらの出所は元参議院議員の千葉在住の保家さんの物でした。動いた値段と仲介者については私は知りませんが、サービス社が社運を賭けて勝負して見事に勝利したと思います。買い値も、売値も随分と立派な数字だと聞きました。両方共にこれ以外は有り得ないので、今流通している物は、シートを分割しての販売品なので、全て鑑定書付のはずなのです。最重要のファクターは【透かしが無い】ことなのです。透かし入りは100%偽物です。無目打の銘付10Bが鑑定書付でマーケットに出た事が有り、弊社にも出品物として来たのですが、これは鑑定委員会のチョンボでしょう。暫くうろうろしていたのですが、お気の毒な所有者も納得してくれたと思います。

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【かつおつり】は何といっても、山本義之さんなのです。私がビジネスに於いて最も強く感化された先達です。昭和天皇ご誕生の1週間後に生を受け、御崩御の直後に黄泉の国に立たれた、昭和の時代を過不足なく過ごされた方でした。私が知遇を得たのは最晩年の3年ぐらいでしたが、濃密なお付き合いをさせて頂きました。収集テーマは3つでした。「シート」と「みほん」と【かつおつり】です。根幹のコレクションの昭和~透かし無のシートは、私が知遇を得る前に、金井スタンプのオークションで売られています。産業・透かし無の高額も当然ながら入っていました。買ったのが業者で、ばらして売ったので今は残っていないという評価は暴言で有り、持たぬ人の無知さ加減を示しています。著作物で文字にする場合はこの程度の情報を見落としていては著者本人の功績に傷が付きます。狭い範囲での情報を過信してはいけません。今どこに有るか分からないから自分が持っている物が最大の物だという考え方は絶対に取ってはいけない思考法です。

昭和60~62年頃なのですが、山本さんからお呼びが掛かって、手元に残ったシートの処分を頼まれました。1次円単位1円~500円だったのです。目打形式に着目したシートコレクションでした。今のような体系立てた分類での記事はカタログには出ていません。おしどり5円が白眉でした。時期がまちまちなのが瞬時に分かり、見るからに面白そうだったのです。勿論出品リストは有りません。でも的確な目印が有りました。耳紙に書かれた鉛筆書きの矢印です。正・逆・1段・2段・4段抜けでの分類です。普櫛・逆櫛・全型は問題ありません。連櫛の分類手法を示してくれていたのです。3版・普櫛180線・正一連1あたりも有ったと思います。この時点でのビッダー=現行切手のコレクターは今は何方も残っていないのです。時代がコレクションに追いついていませんでした。その後の現行ブームの値段は勿論、落ち着いてしまった今の値段に比べても、一桁安かったと思いますが、見様見真似でやっつけたのですが、その時点での私の仕事には喜んでくれたのです。値段は二の次でした。ご自分の分類手法を世に出したくれたという事実でのご満足でした。2次円単位以降と、昭白以前のシートはその後にオークションで売ったのですが、こちらは記憶は残っていないのです。記念切手は冠10銭と日清5銭の片っ方、トンボの1.5銭が抜けていました。これはディーラーへの一括オファーでケリでした。みほんは、最後まで持って置くと言われて、処分の対象からは外れました。5年ほど前にご長男さんから声が掛かって、本に使った昭和以降は丸ごと私が買い取りました。明治・大正は本に使った写真は有ったのですが、現品は見当たらず、殆どが何方からからの借り物で当然ながら返却済みだったのです。みほんの2冊の研究書に書かれているデータで、1次昭和~2次新昭和の頒布数が200~300になっていることを根拠に、発行数をその数字だと引用している人もいるのですが、それは正しくありません。山本さんの書かれた公の頒布先からは1枚もマーケットには出ていないのです。市場に流通しているこの時代の物は、中村宗文さん、関雅方さん他の郵政関係者と在日米軍関係者、それ以前からの海外への輸出分などなのです。私一人が扱った物の数から判断して、製造数は一桁多いと思います。昭和の物に関しては、山本さんの研究を超す物は出ていないのですが、手彫~菊は、新たな発見も出て来ています。詮無い事なのですが、私が手にした物を現役時代の山本さんに提示して研究をして貰えれば、この分野の分類手法がガラリと変わったかも知れません。新小判の目打12のひらがなみほん、字入り偽加刷の台湾見本などクリアな意見を貰えたかも知れません。問わず語りの会話の内で、私が青島軍事より、旧毛軍事の山東省使用の方が少ないかもと言ったら、随分褒めてくれた記憶が残っているのです。

最後の仕事が【かつおつり】のシートの処分の依頼でした。これだけは、まさか売るとは思っていなかったので、気持ち的に何の準備も出来ていません。山本さんの買値が100万円、もっと高かったのが、スポークスマンの中井輝典さんの酒代でこれも100万、昭和30年代なので、今とは一桁違いかと思います。処分のご依頼は昭和62年か63年のどちらかです。ご希望値段は1000万でした。楽では無いのですが、それを基準に画を描きました。41年の新生スタンプの分割@35000円を基準にしたのです。話題性が有るし、銘柄としては良い物です。分割で@10万円、銘付とコーナーのプレミアムをみて、若干の手数料を頂いて、残った場合は値引きでの買い取りで、ご希望に合わせてのプラン化しました。速攻で、ノーの返事でした。切るに忍びない、切ったら恨んで化けて出てやる・・。このハンデはきついのです。一括で買ってくれて、しかも切らないことを確約してくれる相手を探すのです。極めて限られてしまうのです。雑談レベルで話をしたら、可能性が出て来たのです。逓信博物館なのです。私は直取引できません。人を介してネゴをして、滅茶安な値段で話を纏めました。当時の私でも喜んで買い取れる値段でです。瞬間、悪魔が囁いたのです。切らない珍品コレクターに売ったことにして、自分で買って、10年抱えよう、ほとぼりを醒まして切ってしまおうか・・・。化けて出られない方を選びました。完璧なノーコミッションでの仕事です。

某所でのパーティーで、郵政博物館の井上館長さんと話をする機会が有りました。【かつおつり】の山本シートの話をしたら、???、何それ・・だったのです。無目打のそれは、森山欽司さんの遺贈品で森山真弓さんの秘書が紙袋2つで運んで来たことをご存じでした。目打有の方はそれが有る事もご存じないと受け取りました。当然ながら展示物としては一度も人の目には触れていないのです。ていぱーくは、切手の墓場だと言われることは尤もな事なのです。故人のご希望に沿ったディールをしたのですが、後の事を考えれば、私が買い取って、寝かせて手品を使って色を付け、マーケットに出した方が世の中の為になったのかなと悔いているのです。だから【かつおつり】は今でもオークションで表紙に使う気にはなりません。