何処へ
会社の引き出しを整理していて、懐かしいオークションカタログを見つけました。
1985年3月19日のアメリカ・フィラデルフィアのEarl P.L.Apfelbaumセールです。Japan Specializedで、カタログを開いた瞬間にパスポートの取得を決めました。海外へ出たのはこの時が最初、結果としては私のビジネス=人生に於いてのターニングポイントになりました。もう35年経ったかと思うと感慨深い物が有ります。その時のオークショニアのマーチン・アプフェルバウムは、数年後にロンドンからNYへのパンナム墜落事故で大西洋の藻屑と化しました。Walnut Streetの立派な造りの社屋も既に在りません。時の流れを感じます。時を経て、クオリィティの高さではこの時以上の海外のオークションに幾つも参加したのですが、面白さとボリュームという意味ではこのセールが白眉です。突然の発作的な飛び込みで、海外のフロアセールへの初参加ということも有り、忘れられない出来事でした。今の立場と知識ならもっと別のやり方が有るし、参加メンバーもがらりと変わって、セールの色合いは全く違っているだろうと思います。あの頃は日本切手なら、後先を考えずに無茶買いしても大丈夫な時だったのです。整理して商品化さえすれば、買い手が沸いて出てくれたのです。
海外オークションへのビッドは、それ以前もやっていたのですが、このセールの時に得た人脈を元に、ビジネススタイルが劇的に変わりました。当時の私は世界中のオークションハウスを網羅していて、多分300社位と付き合いが有りました。ロットを買っても、トータルOKで、時間を掛ければ何でも捌けた時代でした。日本切手に関しては、売れない物は、偽物の傷切手だけ、手彫の偽物と本物を間違えなければ、それで勝ちだったという印象が残っています。おまけについて来る中国切手でも残しておけば、一財産だったのにとちょっと後悔をしています。今とは全てに於いて景色が違ったのです。この時に隆盛を極めていたオークションハウスは随分数が減りました。イギリスは全滅、アメリカで残っているのは、SiegelとCherrystoneだけ、欧州大陸の国際的な大手ではCorinphilaとHeinrich KoehlerとDavid Feldman、自国特化組ではスイスのSchwarzenbach、オランダのVan Dieten、スウェーデンのPostilijonen、フランスのRumet位でしょうか。Gaertnerの姿は当然ながら何処にもなく、Inter Asia のジェフリーは、イギリス=Robson Loweとスイス=Corinphilaの異なるオークションハウスを、雇われのテクノクラートの立場で行ったり来たりしていたのです。数十年を経てのオークショニアとしての勝ち組か否かは、中国切手を何時扱ったかに収斂するのです。個人として、当時も今も現役で元気なのは、ジェフリー・シュナイダー、アンディー・ホルツ、デービッド・フェルドマン位しか思い浮かびません。ヨーロッパで日本物を私とバチバチやっていた、ジュリアン・クライブ、ルドルフ・シャピラ、コン・ウエン・スンらは皆黄泉に旅立ちました。超ローカルの日本切手専科の私が今まで生き残れたのは奇跡かも知れません。
1985年前後というと本当に物が有ったのです。マイオークションビジネスのスタートとすれば、何時でも、始めるのがほんの数年遅れたかなと思っていたのですが、結果とすれば、私はギリギリで宝の山に入れていたのでしょう。利幅の多寡はさておいて、良い物を随分扱えました。手にした物はしっかり結論が出ているのですが、買えるチャンスが有りながら、時が味方してくれずに買えなかった物で忘れられない珍品が有るのです。田沢が2点と朝鮮字菊のエンタです。何処かへ消えました。追いかけて、30数年マーケットを見続けているのですが、欠片も見ることが出来ません。久しぶりに当時を思い出しながら書いて見ましょうか。
1985年の少し前、多分1983~4年なのですが、ニューヨークにA5サイズのモノクロのメールオークション誌が有りました。【GOLD MEDAL MAIL SALE]、親会社が著名なオークションハウスのJ&H Stlowです。全世界のゼネラルコレクションをばらして、シングルアイテムのみで、写真を載せ、スコットカタログ値を書くというスタイルでした。普段は殆ど買う物は無いのですが、吃驚ネタが有りました。大白25銭の単線12の未使用です。糊付ですが、NHでなくLHかOH、写真でもフレッシュさが見て取れました。100%大白です。偶然ですが、その時、丁度手元に掘出しで買ったばかりの旧小30銭11Lの白抜Yが有りました。全く同じタイミングで、イギリスWalesのWestern Auctionに、菊の18完の未使用のロットの中で、50銭C12x12.5が出ていたのです。夢を見ました。目打の目玉を3枚並べて売ってやろうと狙いを定めました。菊の50銭は、かのオークション会社の本来のセールの場所、ウエールズでやってくれていれば、私が買えたと思います。でも偶然にもロンドンでセールが行われ、北園君が場に出て、私の札を頭撥ねしたのです。直ぐに東京のサンフィラのオークションに出て、天野先生が落として、今は別の菊のトップコレクターの目玉です。Westernと言えばこの時の少し前に、AIKOKU-MARUの葉書の書留を買ったのがここでした。Walesはローカルだし、オークショニアのP.A.Wildeの方針が、出品者の書いて来た記事をそのまま載せる、不落札でもペナルティー無しという時代錯誤の運営をしていたのです。達者な在英のブローカーが、意図して作った日本のクラシックのコレクションを毎回出品していました。物は本物で、数十行の記載は基本的に正しいのです。型価の20~25%位の最低値だから、可能性を夢見る日本人は随分引っ掛かったと思います。私も何度か買ったのですが、直ぐにネタが割れました。政府印刷20銭の縞(彼が亡くなる少し前に、私が呼ばれてプラーベートで買いました)を掘り出す知識が有る人間が作ったロットなので、何らの宝も残ってはいないのです。想像を逞しくしてのブラインドビッドはやってはいけないのです。何度が授業料を払ってリスク回避の術を身に着けたのです。このスタイルを受け入れるオークションハウスは例外なく廃れて消えていきます。以って他山の石とすべしと肝に銘じています。
アッペルのフロア会場で、初めて直接出会った北園君と菊の50銭で盛り上がって気分的にも納得です。その後はお互いに完璧に利益を共有できる仲になりました。菊50銭はその後も随分枚数が増えて来て、10枚ぐらいは有るのかな。恐らく全てが海外での掘出しでしょう。最早ニュース価値も有りません。でも、大白25銭は未だに引っ掛かりが有るのです。ステータスが完全な未使用はまだ見かけません。当時でも売る場合の相場は100万円だと踏みました。逆算して、結構いい値段でビッドをしたのですが、落ちていないのです。メール専門のオークションだし、自分の物を売る会社なので、結果表を出しません。諦めないといけません。ところが、数か月後に、同じ物が再出品されたのです。再度のチャレンジで、同じぐらいの数字をビッドしたのですがその時も駄目でした。日本には戻って来ていないと思います。ミステリーです。この時の私はオークションには全部メールビッドを入れていたのですが、アッペルセールで良い人に出会いました。アメリカ人のオークションエージェントです。いろいろ教えてくれて、今も親しく付き合っています。フロアセールだけでなく、メールオークションだって、何とか手配も出来たのに・・と聞きました。Gold Medal は何時しか消え、J&H StlowもNYを去りました。廃業か倒産です。縁者がミュンヘンの大通りに店を出していたのですが、ここも数年前に店を畳んだと聞きました。あの単線12は何処へ消えたのでしょうか。
ごく最近に、奇妙な情報を貰ったのです。大白25銭の単線12がE-Bayに出ている。値段を教えてくれという依頼でした。やっと来たかと思って、知ってるままを教えたのですが、あにはからんや、残念な紛い物だったのです。聞いてきた人はWDで被害なし、でももうお一人おっチョコチョイがいたのです。信じて落して、弊社への出品物として持って来たのです。おかげで現物を拝むことが出来たのです。丁重にお断りしたのですが、良く買うよ!的なものでした。E-Bayの2点が同じ物かどうかはトレースできませんが、35年前の物とは全くの別物です。大白25銭にはNGや穿孔正の糊落ちは有るのですが、是非しっかりした物を目にしたいと思います。私が見つけた、あの状態なら複数あってもいいはずです。