あと一歩で完了です。

NEW  HAVEN→八鹿カバーで有力な情報を頂きました。奈良県の戸上拓也氏とドイツのFLORIAN EICHHORN氏からです。U.S. International Postal Rates, 1872-1996、Anthony S. Wawrukiewicz & Henry W. Beecher  共著の、アメリカの外国宛の料金表です。その34ページに私の知りたいデータが出ています。日本宛の1871-1875年の料金です。

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早速本題に入りますが、該当のカバーで問題になるのは、料金表の、「a  American Packet via San Francisco =10C」。これに対応する日本発料金は、日本の米国横浜局→アメリカも10銭です。為替レートは$ vs yenが、1:1なのでキッチリ合っています。差出人が貼ったアメリカ切手の15Cは、サンフランシスコ便なら、完納というより過貼りですが、NY局でshort paid 5Cの印と書き込みが有るので、SF便の料金では受け付けられないとして、トータルの料金として20C を要求されています。未納郵便物はこの時代では受け付けられないので、差出人に戻されています。SF便は駄目よの理由は推測ですが、1873年9月なら、アメリカ大陸横断鉄道は開通しているのものの、定期的には運行されていなかったのかも知れません。3年後の1876年6月4日の超特急でNY→SFで、83時間39分が画期的な記録との記事が出ています。1873年頃の日本宛の郵便物で、アメリカの東海岸差出のサンフランシスコ便の実例が有るのでしょうか。低料金のこのルートが無理なら、ニューヨークからの日本宛は、大西洋を越えてのBrindisi経由便にならざるを得ません。この場合の料金は、「f German direct mail via Brindisi=20C」になります。NY→ハンブルグかブレーメン→Brindisiでしょう。もう一つが「i German closed mail via England and Brindisi=21C」です。closed mailとは、閉嚢便で、経由地のイギリス・リバプールとドイツのケルンでは開嚢されずに、Brindisiで載せかえる時に開いて中継印を押すということでしょうか。iの方がより早く着くのですが、料金が1C高くなります。この違いは、日本の外郵開始後のドイツ宛のルート違いの料金違いに引き継がれています。「cの英国船のサザンプトン経由は28C、dの英国船のブリンディシ経由は34C」なので、対象からは除外できます。

NEW  HAVEN→八鹿カバーは、21Cで完納です。それでも、i のドイツ船のイギリス経由とは断定は出来ません。fの直接Brindisiも可能性として残ります。両ルート共に、Brindisiは確実に通るのですが、その前の◎ALA VERONAの鉄郵が曲者です。ALAは、AMBULANTEでイタリア鉄道の基地局です。TRIENT=TRENTOに接続しています。ここに繋がるドイツからのルートが、ハンブルグ・ブレーメンか、ケルンかが判れば、謎が解けるのです。もう一つの考え方とすれば、1873年10月1日か2日の、ニューヨーク発ドイツ宛の船が特定できればいいのです。行き先で20Cルートか、21Cのそれかが判ります。アイホン君が頑張ってくれるでしょう。私の拙い知識で判断すれば、fの開嚢便なら、ドイツの到着地=ハンブルグかブレーメンで中継印を押すのでしょうが、このカバーにはそれが無い、ゆえに、i の閉嚢便での、イタリア中継印押しと思えるのです。15C+不足5C の書き込みは気になりますが、トータル21C ならぴったり、合いなのです。

現時点で判っているこのカバーのステータスを書いてみましょうか。幾つかの文献を読んでのデータです。①日本人が海外から差し出した日本宛の郵便物の最古のマテリアルである。②Care of YOKOHAMA Post Officeの表示から判断して、駅逓寮が借り上げた、イギリスの横浜局の「私書箱」扱いと思われるが、その制度の最初期で有り、唯一の完全品であり、かつ日本人宛はユニークである。③インカミングメールの日本人宛としても最初期と思われる。インカミングは、お雇い外国人宛や、外国商社宛が圧倒的であり、日本人宛は随分と時代が下がってしまうと思われる。④アメリカ発日本宛での大西洋経由・ブリンディッシ経由便の最初期である。まだまだ幾つでも見つかるのですが、それはこの辺りで止めておきましょう。オークショニアはマテリアルを見てわかる要素以外は書かない方が良いのです。買ってくれる人の方が知識は上なのですから。

既に書いた記事に於いて、ブリンデッシ→横浜のルートと船名は解明済みですが、国内の逓送ルートも、近辻喜一氏に伺って、横浜→西京は、東京を経ずに、陸路で3日と判っています。4銭貼りも、料金の内外での刻み違いで納得できます。残る問題は、差出人が誰かです。アメリカ切手の下に、「米国・・・」の文字が読めるし、筆跡から日本人に違いないと思います。切手を剥がして調べることは無理でしょうから、ここらは、受取人の但馬国の北邑・・の名前からの関連を、但馬国に超詳しい「キタムラ先生」に聞いてみたいと思います。

日本人が海外に国策で渡航したのは、岩倉使節団が最初でしょう。その次の年の同じ船でアメリカへ渡った人物宛に差し出された手紙=海外郵便手続=二重封筒の内封筒が、何故か私の手元に有るのです。この時代の海外への渡航者の名簿は、パァッセンジャ―リストで拾えるので、割と簡単に身元が分かります。ここらも含めて近日中に論じてみようと思います。