エメラルドの怪しき煌めき

大分時間が空いたのですが、このタイミングで書いて置きましょう。竜500文逆刷のお話です。一部の出版物で、あたかもDavid Feldman氏が、一代でゼロから世界最大のオークションハウスを築いたかのような論調を見受けるのですが、それは違うかなと思うのです。1947年アイルランド生まれのコレクターで1967年に切手のオークションを開催しています。何時からジュネーブの自社ビルでフロアセールをやるようになったかは覚えていないのですが、わたくし的に印象深いのは1987-1990年頃の、Habsburug-Feldmanとしての活動でした。切手も扱っていたし、東京も含めて世界中でオークションを開催していたのですが、取扱品目は美術品・宝石・時計が多かったのです。相方の名前で判るように、マリー・アントワネットのハプスブルグ家の末裔さんと組んでのビジネスだったのだと思います。私にすれば、それ以前のスイスの立派なカタログでの切手のオークションハウスのイメージが有ったので、切手のオークションは廃業で、サザビー・クリスティー路線に行くのか、残念だなみたいな受け止め方をしたのです。でもこの業態でのビジネスは、名前もセール自体も短期間で消滅し、ハプスブルグの名と郵趣の繋がりは泡沫の夢のように消えました。Feldman氏は2枚目のモナリザ=『アイルワースのモナリザ』で良く名前が出るのですが、アイルランド切手に関する著作以上に、美術研究家として知られています。切手のオークショニアというには異質の能力をお持ちなのです。

長年の交渉を経て、金井宏之氏のモーリシャスのコレクションを買い取って、自らのオークションで売ったのですが、超目玉のカバーの買い手が、モーリシャス国そのものだったのにはたまげました。普通のオークションハウスのような、場での成り行き任せの偶然狙いでなく、必然のビジネスモデルで絵を描いていたのでしょう。外形はオークションのスタイルだけれど、コレクションを買う前からエンドユーザーとは話は付いていたのでしょう。彼は負ける勝負はしませんから。こぼれ話が有るのです。売り手が金井さんなので、値段以外の付帯条件を幾つも付けていたと思います。詳細はさて置き、面白かったのが、デニスンヒンジをねだった事、取引に入る以前の雑談でのタイミングだったのでしょうが、すぐさま50袋入りのカートンが届いて吃驚したと聞きました。彼にすればお安い御用だし腕の見せ所だったのでしょう。

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