姫路の連中から発せられたネタを信じるならば、朝鮮字菊15銭の12半=名鑑に載っている現物も同じ高校生が同じ時に掘り出した物だそうです。当然こちらも糊無でしょう。この条件を充たせる可能性は一つしかありません。【立太子礼皇室贈呈用沿革志】の剥がしでしょう。1銭・20銭。1円の12半も恐らくは同じタイミングで剥がされたはずですが、所詮は糊落ちなので邪険に扱われてしまったのかな。かの高校生君が買ったのは、名鑑菊が発刊された1978年より数年前の事、狩場は「日本フィラテリックセンター」のメールオークションのAの部だったのです。誠に残念な事ながら、私はタッチの差で出入りしておらず、稀有な掘出しの機会には間に合いませんでした。西岡辰二さんの、味の有る手書きのオークション誌です。8銭も15銭も目打は書いていませんでした。私が下見して見つけたかどうかは神のみぞ知るとしか言えません。現在、私と同じ立ち位置に居る、コレクターとして現役の連中達も、恐らくは好機に接する事は出来ていなかったと思います。でも、見つけた高校生は目打の希少性を知っていた筈なので、それはお見事だと思います。私が覚えているという事は、もしかしたら、姫路か、関西の郵趣雑誌にインパクトの強い記事が出ているのかも知れません。
『Aの部』というのがポイントなのですよ。私が出入りするようになってからも、毎回200点ほど、竜48文が頭で、電信や旧韓が尻尾の出品が機械的に続いていたのです。ゴミ交じりでなく、ピュア―な魅力的な商品の羅列でした。それなりの金額で売れる物が多かったのです。毎回同じスタイルの手製のブックにハウイドマウントを並べて貼って、そこに切手を突っ込んでの出品スタイルでした。最低値は━、出所は海外、全てが新鮮な物で、売ることを前提にした、稀代のプロのご出品なので実に面白かったのです。私がビッドし始めてからは、下見無しの人のビッドでは絶対に落ちなかったはずです。朝鮮字の12半には間に合わなかったのですが、随分と長期間に亘って楽しませて貰いました。でも手彫は買えなかったと思います。旧小判も掘出しは有りませんが、菊以降はお宝の宝庫だったのです。私と水口正春がどれだけぶつかった事でしょうか。このオークションには都市伝説が有ったのです。幻で無いファクトです。
ビッドに際しての値段調整のルールです。大原則は入れたままで調整なしで落とされます。怪しからんけれど、決め事なので文句を言えないのです。でもメールオークションなので、その気になれば何でもやれるのです。関西弁で言えば、【ヤ・タ・ケ・タ】、ビッドに於いてですが、知識が有って、金も使える、指導者としてそれなりの立場にいる人が、傍若無人な振舞をやっていたのです。出品物でお眼鏡にかなって、どうしても欲しい物が有れば、下見期間中に持って帰ってしまうのです。絶対に自分が落すから、それで良いだろうというスタンスです。下見できない人の場合は、この悪行に気がつかないし、どっちみち負けるので影響を受けないのですが、関西の連中は怒ります。手嶋さんが竜のプレーテイングの為に、往復速達でのご自宅下見は納得できるのですが、珍品独占の為の物自体のフライングのお持ち帰りは駄目でしょう。だから、私が悪戯したのです。[あの人]が目隠しの為に持って帰ったということは、下見不要の良い物だと確信が持てるのです。嫌味で相場以上の値段を放り込んだのです。相手は幾ら高くても買うつもりなのでしょう。だったら私の値段以上で買ってくださいよ、です。直ぐに泣きが入りましたよ。だから、自然の流れで暗黙のルールが出来たのです。お持ち帰りでの目隠しは駄目ですよ。値段調整のルールは、オークショニアの専権事項なので、調整なしでもやむを得ません。でも、人によって扱いが違うのは不味いのでは。
変なルールが始まったのです。辰二翁がこっそり教えてくれました。数字だけで何も書いてない場合は、そのままの数字で受け付ける。[・・・まで]と書いてある物は2番値の上まで引き下げる。・・・・実際にその通りになったのです。メールオークションなので、締めの直前に店に行って、1番札を聞いた上で、誰かの札を撥ねて取ってしまうというやり方は私はやりません。あくまで自分の評価に自信が有るので、目一杯に入れて、出来れば安く落としてくれれば有難いという感覚なので、[・・・まで]の調整は有り難かったのです。私が教えたかどうかは兎も角として、数人の達者な人たちはその恩恵に与れたはずなのです。このルールは、西岡親子時代の日フィラの、しかもメールオークションに限定して有効でした。今の金坂忠彦さんのオークションとは何らのつながりも無いことを明記しておきます。勘違いがお得意の思い込みの強い人も、適格に判断されることを望みます。名前が繋がっていても、ビジネスの精神は全く別次元なのですから、私が書いた事に関して、金坂さんにコメントを求めるのはご法度です。
話題を本筋に戻します。「Aの部」の出品者の素性です。問わず語りに自然に耳に入って来るのです。辰二翁が気楽に話してくれたと思います。[市田左右一]氏です。逆引きで完璧に繋がるのです。新鮮な、ソソラレルマテリアルが毎月200点、手彫と小判はキッチリとした分類なので掘出しはノーチャンス、翻って菊以降は珍品・希品満載のド素人さん出品で、下見無しの値段調整無しの人では勝負にならないでしょう。常に何回分かを預けていたと思います。でも、その発端が何だったのかが気になったのです。辰二さんも、ご子息の龍男さんも聞けば教えてくれたと思いますが、時の流れにとけてしまってチャンスを逃してしまったのです。夢の中のお話として私の推測を書いてしまいましょう。
このオークションに[水口の三文字検査済]のエンタが出たのです。日付が3月3日と読めたのです。日本の郵便制度でのエンタとして最初期です。市田さんの頭に血が上りました。何が何でも欲しいのです。そのお気持ちは良く分かります。正に自分が持ってこその名品です。他の人では絶対に使いこなせません。だから西岡辰二翁にオファーを出したのです。何としても欲しい、幾らでも良い。・・・望むなら、オークションの出品物で便宜を図ろうか、どちらもが生きている間は、毎回200点出してやる・・・。これも100%私の推測ですが、強ちガセでは無いと思うのです。でも、本当の事を確かめて無くて、今も後悔しきりです。誰か聞いている人はいないかな。
私は市田さんとは完全にすれ違いです。言葉を交わしたことが有りません。でも、雑誌の記事で強烈な思い出が有るのです。市田さんが書いた物で無く、登場人物として描かれた記事なのです。具体的な号数は書けないのですが、金井スタンプの「スタンプレーダー」の広田芳久さんの投稿でした。ヨーロッパの国際切手展のレポートです。まだ、海外旅行が不自由だった時だったと思います。最初の外遊だったかどうかは分からないのですが、広田さんはワクワク、ドキドキで会場に乗り込んだのでしょう。幾らでも掘出しができた時ですから。初日の朝一にブースに行って、有力なディラーさんに、JAPANが無いかと聞いたのです。帰ってきた言葉は、一杯有ったけど、ついさっき彼に全部売ってしまった。指差した先に居たのが、正規の開場前に、関係者扱いで入場できていた、かのDr.S.ICHIDAその人だったという記事なのです。恐らくは、広田さんの投稿がそのまま載ったと思います。スタンプレーダーの発行人は橘さんです。編集権者=発行者が橘さんなら、言いにくそうに広田さんに手加減をお願いされたと思います。でも、当時の編集は渋谷敏一さんがされていた時かと思うのです。目を瞑って、検閲を掛けずの掲載でしょう。だからこそ、没にならずに世に出たトッピックだったのかな思います。国際展での関係者、特にそれなりのディーラー達の事前の取引は、文化として成立しているので目くじらを立てる事では無いのですが、善良なコレクターにすれば見過ごすことが出来なかったのでしょう。それにしても、我ながら変な事をよく覚えている物ですが。
高校生君は、菊のコレクターでした。関西のジュニア展的なところに作品も出していたと聞きました。センスは良いと思いますし、キッチリ値段も踏めています。直近のヤフオクの出品は、1週間に1点です。朝鮮字菊の12半から出しているのでしょう。5厘の使用済、8銭の未使用、3銭の未使用、次は15銭になるのかな?それ以上に気になるのが、最初に12半をコンプリされた人のコレクション、8銭と15銭の12半が、糊落ちかどうかかが知りたいのです。何度も触れるチャンスが有ったのですが、まだ確かめていないのです。それに、肝心のそのコレクションが現時点でご自宅で行方不明になっているのです。出てくれば真っ先に調べて見るつもりなのですが。