次回のオークションの出品物の、ラストロットが確定しました。極めて興味深いマテリアルですが、手元の文献と、私の知識では解明出来ない要素が有るのです。
外国郵便開始の1875年1月1日以前のアメリカからの到着便で、この時期の日本切手貼付の国内転送便はユニークだと思います。データを時系列に列挙します。コネチカットのNEW HAVEN差出で、宛先の表示はMR.D.KITAMURA CARE OF JAPANESE POST OFFICE YOKOHAMAの英文と、大日本豊岡縣養父建屋町之北邑・・北邑実彦?殿の漢字表記です。差出人の漢字表記はアメリカ切手の下に隠れていますが、筆跡からして当時にアメリカに渡航か留学していた日本人の差し出した物と思えます。
VIA SANFR.=サンフランシスコ経由の表示が有ります。
⓵アメリ切手2C・3C・10C=計15Cを貼り、NEW HAVEN SEP.21.1873の引受です。次いでNEW YORK SEP.22の消印と横長□のSHORT PAID印と鉛筆書きでDUE5の文字が読めます。解釈では、5Cの料金不足で差出人に戻されたと思われ、
⓶再度アメリカ切手6Cが貼られ、NEW HEVEN SEP.29とNEW YORK OCT.1印が有り、完納になっていると判断できます。次いで出現する郵便印は、大西洋を渡った欧州の物です。
⓷◎ALA VERONA 16.OTT.はイタリアの鉄郵印→〇BRINDISI 17.OTT.→英国局〇HONG KONG C.NO.26.73→在日英局青〇YOKOHAMA A.DE.5.73→N1B1横濱6.12.6午後です。日付とルートで、シッピングリストから英国籍P&O会社(PENINSULAR STEAM NAVIGATION CO.)のMADRAS号で運ばれたことが判ります。
⓸国内の逓送は、N1B1西京6.12.9午後→朱□明治6年12月12日/豊岡郵便役所→朱縦□先拂+朱□但馬郵便役所八鹿 そして、和桜4銭を貼って、縦□但馬八鹿検査済での抹消です。
解明したいポイントは、なぜ差出人に戻されて、6Cを貼り足したかと、NYから大陸横断でSFに運ばれての太平洋航路でなく、なぜ大西洋経由でのBRINDISI経由になったかです。恐らくこの2点はリンクしているでしょう。凝縮すれば、1873年の米→日の郵便料金が問題になるのです。サンフランシス発の米国船なら15C、大西洋便(その後はブリンデッシ経由)のイギリス船ならば20C(或は21C)でしょうか。もしそうなら、当初に何らかの理由で、SF便に載せられないので、料金不足=完納郵便で無ければ受け付けられず、差出人に戻して不足分を再貼付してのブリンデッシ便になったのかも知れません。
もう一つのポイントは、⓶→⓷のNY→イタリアのルートです。太平洋航路と違って、大西洋航路の船のリストは手元にないのです。欧州への上陸地はイギリス船ならロンドン、フランス船ならマルセイユ、アメリカ船ならどこでも良いでしょう。このカバーの消印では読み切れません。是非ご教授頂きたいのです。
⓷は問題なし、⓸の切手貼付に関しても理由は分かっています。横浜から宛先地には国内料金が徴収されるのですが、和桜4銭は、配達局の但馬八鹿(養父市場は未開局)で貼られたと思います。なぜ4銭なのかの可能性は2つ、未納郵便の倍額徴収(外郵開始後は倍額は免除)か、内外の基本料金の刻みの違い、国内は2匁=7.5グラムの迄毎で2銭、アメリカは15グラム=1/2オンス迄毎でしょう。アメリカでは基本範囲内でも、日本では2倍重量便です。未納の表示がないので、重量便の可能性が大きいと見ます。1875年以降の着便の内地の配達や開港地間郵便で4銭貼りが多いことからの推測です。識者のご意見を頂ければ幸いです。