月別アーカイブ: 5月 2006

2006年5月25日(木)

「ピンクの帯の払い下げBOX」 

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何気なく、行徳さんの「戦後の郵政資料 第2巻」を見ていたら、一つの記事を見つけました。30年8月1日付けの東京中央郵便局ニュースで、30年9月から郵政弘済会から使用済切手を箱詰めで販売開始のお知らせです。価格は1箱400円、5箱以内に制限、代金と引き換えで販売。内容は富士と桜の10銭、機関車製造500円までの約30種類、切手収集家の渇望する記念切手、大型切手、高額切手で消印の軽少な物は1割内外・・・。重さは書いてないし、写真で見れば、みかん箱、5キロ~10キロは入っていそうな外面です。この時代のBOXは古~いディーラーさんが持っていて、雉航空やら茶摘のシートが入っていて、5キロ箱が1箱で100万円が相場だと言われた事も有るです。このニュースの枚数は1箱7~8千枚とのことなので、ダンボール箱の写真そのものではないでしょう。10箱入りの業務用とでもして置きましょう。この時代のBOXの生の姿は見た経験が有りません。
でも、今回の我が社のメールセールに掠ったものが出て来ました。ソソラレル日付です。
LOT 5058 風袋共500G 郵政弘済会出版部    33年4月21日 ピンクの帯封
LOT 5059 風袋共500G 郵政弘済会第三事業部 35年4月18日 のメモ有り、この期間の間に販売部局の名称が変わってます。出品物ですし、包み紙がエンタとして意味があるので勝手に紐を切って紙を開けることは出来ません。だから帯の色も不明です。今回とは別ルートで入手した物の最初期は36年8月28日、緑の帯で発売元は「全日本郵便切手普及協会」で風袋共350Gになってます。35~36年に弘済会→全郵普に変わったのでしょう。30年代のBOXはオークションでもいい値段で「夢買い人」が競ってくれるので何時もいい値段になってます。はたして今回の「ピンク」は幾らになるのでしょうか。
チョット前に「ヤフー」で41・42・43・44年のBOXがまとまって出ていました。未開封は200+開封済みが100+、縁有って、開封済みは大箱11個で我が社にやって来ています。総重量で180キロ+、原符系だけで40キロ以上は有るのです。1箱300Gで割り戻しても600箱ぐらいになるのです。大元の名前を先達何人かに聞きましたが、珍しい名前ですが、記憶にあるような無いような、以上の返事は貰えてません。でも40年前半に、少なくとも800箱のBOXを買った人とはどんな素性の人なのでしょうか。因みに未開封のBOXの売り方も相談されたのですが、私が値段を付けるなら、今までの売値が有るので、目一杯の高値になってしまいます。だから、今回は、落とした人が直接「郵趣ウイークリー」に広告を出して売るそうです。6月の第1週、値段は私の評価よりも随分安く付いてます。まとめて買えば更なる割引も有るのだとか。興味ある方は直接販売元にアタックして見て下さい。向うも置き場所に難儀しているので即発送してくれるでしょう。我が社の開封済みの600箱分は、今回は間に合わないので、整理して次回8月のバザールの企画商品にいたします。
今回6月3日・4日のバザール情報は、近日UPいたします。テーマの一つは倉庫のスペース作りなので、それに見合うこともやりますから。

2006年5月16日(火)

◆◆◆◆◆◆◆◆【闇の向こうに金色堂】◆◆◆◆◆◆◆◆

金色完全を含むシートの上半分以上は既に売れ切れです。

金色抜け 単片  10万円
〃  横ペア  20万円
〃    田型  40万円
は、販売継続しています。

日本郵趣連合の鑑定書が付いています。

◆◆◆◆◆◆◆◆【立太子礼記念 皇室贈呈用沿革志】◆◆◆◆◆◆◆◆

総ページ数93 カラーコピーを製本
送料共で 5000円で送ります。


5厘も 12 1/2 です

8月のオークションに出品します。
91ロット及び一括での競りの詳細の情報も同時にお届けします。

 

◆◆◆◆◆◆◆◆見てない束物スーパーパック◆◆◆◆◆◆◆◆

2006年5月12日(金)

「宣統・・・」   

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元号がこれということは、満州国なのでしょう、変換不能の漢字が一杯、最終頁に書かれてました。日付と名前(戒名?)贈呈みたいな感じです。和紙の手製のアルバムに「赤二」がぎっしり、丸一の局名違いのコレクションです。なかなかの内容で、岡崎・楠町も有るし、分類も正確です。縦書きは数少ないけど、大型印が多そうです。突然のご来訪、故人=配偶者がスイス人の日本のご婦人が里帰りのついでに立ち寄ってくれました。売れますか?ダメなら捨てて下さい・・。当然ながら、オークションを薦めました。国別にちぎってのリーフ売り、次回の8月のセールの最初のパートに出してます。@100円の最低値、だから琉球は7局、八重山島・宮古島・八重山・那覇・読谷山・名護・大宜味なのでこのロットは700円、均一の値付けは楽なのです。
最低値合計でも10万+、落札値は数倍なので、勿論捨てるには惜しすぎます。それに他にも一杯有って、今まで全く売ってないらしいのです。どう見ても、満州のハイソな人の流れが感じられるコレクション。もし、もろの満州が有るならば結構夢を見られるでしょう。余り一度に送られても困るので、少しずつのご送付をお願いしておきました。
スイスというと、わたしレベルでの印象の強い人が3人、何れもスイスでの日系企業のハイレベルの役員さん、ロッテのBさん、チバガイギーのGさん、三菱重工のMさん。いずれも故人です。流れ的に、皆コレクションはコリンフィラ・・・。かかさずにフロアに出て、かなりの部分は買ってます。それ以外にも、高級品カバーのディーラー(洋桜30銭多数貼り・鳥12銭貼り別仕立葉書)、三五六の6銭NAGASAKIと最後の1回前のメリアン小判を掘り出したA・Kさん、今回のコリンフィラのFさんとか、数えれば10人ぐらいはいるのかな。色んな意味で相性が良くって、お付き合いしてこれた人が多いのです。
核になるのが「CORINPHILA」。今手元に有るカタログを見直して、スタッフの写真を見ても、見知った顔がいないのです。
Vollenweiderは1972年からここにいて、G・Toddはロンドンの時の知り合いで、ここに来たのは極最近、他は名前も顔も記憶の片隅にも有りません。かつてのカタログには出てました。ルーダーとエデルマンが2人で始めたオークション、その後、劇的な変化は、第2次大戦の後にあり、「逃げたナチスが南米に持ち出したコレクション」を売って、財をなした・・・。私が最初に来た頃は、クライブがいて、ホルカムが座っていて、CHINAをベッケマンと呉楽園がノンリミットで競っていた、JAPANも素晴らしくコンディションの良いものも有ったけど、値段も一流、むしろ日本よりも高かったかな。
それが、今や、目立たないけれど、「ESCALA」グループの一員で・・・、資本の論理なのでしょうが、何か物悲しくなるのです。スペインのESCALAマターの続報も来ています。社会的な反応としては、ヨーロッパで起きた、最大級の経済スキャンダルとして進行中、波及して、NYナスダックでのESCALA=MANNINGの株が62%下落とか。でも、長文のレポートの最後に書かれていたコメントは、投機家でなく、コレクターが運営するならば切手収集の市場は基本的に極めて健全です。それは歴史が示している。さしずめ今なら、「CEPT」ヨーロッパ共通図案は正にこの投機の対象で、明日は今日の値段ではないのかも知れません。
でも、オークションは大丈夫でしょう。知ってる連中が一杯このグループに関っているか、関わっていたので非常に気になるのですが、今は静観するしか有りません。メンバーが勢ぞろいする、ワシントン展の後ならば、もっと詳しく分かるでしょう。私にとっては「村上・阪急・阪神」より、「ESCALA」の方が影響が大きいかも。我が社には買収のお声は掛かっていなかったのですが。

2006年5月8日(月)

「Dr.S.・・・」
 早過ぎた人なのか、機を見るに敏なのか、1958年「FIFA=国際サッカー連盟」の理事にアジア枠で日本人として
最初に就任されていた人でした。その後の同じ立場には川渕三郎チェアマン(キャプテン)ですら望んだものの、選挙で必要な支持を得られてません。それにJリーグ(プロの国内サッカーリーグ)の創設を最初に活字で訴えたのもこの人だったとか。この分野でも抜群の先見の明をお持ちだった人でした。
 本業を、若くして人に譲り、枯れる前の人生の最盛期を趣味の領域の「切手」「サッカー」に打ち込めた幸せな人だったのでしょう。この人のヒトトナリは、気鋭のライターが「全日本郵趣」で別の視点で最近光を当ててます。他人に論評される、それ以前にご本人が「竜」「桜」「青一」「墨六」、勿論、数え切れない論文で思う存分語ってます。心残りは「小判」が未完に終わった事ぐらい、研究家としても満ち足りた郵趣人生だったでしょう。ご自分で思いついたアイデアを自己表現ができ、それが世間にも受け入れられた稀な程の満ち足りた仕事をされたと言えるのでは。
 私は全くお付き合いが無かったのです。年代的にも、微妙なすれ違いですし、国内でも海外でも直接の会話を交わしたり手紙を書いた事も皆無です。丁度私がスイス・ドイツ・オランダ・北欧などで「JAPAN]に特化したビッドを積極的に始めた頃、Dr.はオークションでの活動は少し控えめになっていて、その後病を得て、T病院に伏せられたのです。もうほんの数年、早いか遅いかしていたら、私が出歩けるようになって、デン・ハーグの駅のフロアで「20銭縞」が旧韓国の李花・鷹と一緒のリーフに貼っていたアジアのロットを見つけて、お互いが相手を知ってか知らずかでギリギリの駆け引きをするスリルもかなりの確率で有ったのに、夢のままで終わってしまいました。この方が出されたカバーは数多く戻って来てますし、グルックナー宛の交換の申し入れの内容など、流石と思わせるものでした。気が合ったかも知れないのに悔やみます。
 少なくとも20数年、たぶん25年前と言って良いでしょう。その経緯は「西岡辰二の郵趣昭和史」の行間にさりげなく書かれてます。わかる人はわかるし、洒落てコナレタ2人の大人の約束とでも言って置きましょう。毎月発行される手書きのオークション誌のAの部に200ロットが全く同じスタイルで出品されるようになったのです。何時頃から始まったかは記憶に有りません。
 でも、暫くすれば気づきます。それに自然に裏の話も聞こえてくるのです。お爺さんとのちょっとした世間話は楽しいひと時でしたから。竜48文1版未使用がA-1・・・組合カタログ順に並んで、締めが旧韓国、すべてが玉ではないけれど、最低値でない、カタログ値(消印などはそれも無し)だけの自由入札なので、このオークションの唯一絶対の目玉でした。このパターンは長期間続いたし、入院されてからもすぐには途切れなかったので、余程大量なパターン化されたストックを黒のマウントを貼り付けたアプ帳として事前に準備されていたのでしょう。問わず語りで聞いた話では、Dr.と翁はどちらかが朽ちるまでは永久に続けようと約定を結び、まさにそのままに実践されていたのです。その発端が何なのかは、今となっては闇の中、詮索は野暮でしょう。
 今のオークションは随分システム化されてます。メールセール(やメールビッド)では、2番札の一刻み上で1番札の人が買えるのが基本のルールです。昔ながらの視野狭窄の勘違いで、一番高い人にその値段で売るというやり方を続けている場合は、オークションの定義では括れずに即売のバリィエーションになるのです。ここは、少し違ってました(今は別のシステムになってます)。
 何も書かなければ、全てその値段で買う意思表示、人の少し上まで引き下げて欲しければ、然るべき符牒を付けなさい。最も簡略なそれは、ビッドの数字の末尾に「まで」と書けば良い。1万円と書けば、2番値が1000円でも、1万円、1万円までと書けば1100円に機械的にしてくれます。最初は殆ど知られずに、結構長く続いていたルールだったのです。基本的に出品者の記事をそのまま書いているので、下見すれば有利だし、「まで」ルールを使うか否かで更なる大きいハンデを得られます。掃き溜めに鶴なのか、鳥居ぬ里の蝙蝠かは別にして、Dr.の異様なハイグレードのAの部は、この情報を得ている人の格好の狩場と化してました。
 私がそれと気づいた時期には数人が踵を接して同じように参入して来ました。京都のお鬚とか、連れの歯医者とか、三重でも豊中でも梅田には飛んで来れるくんとか。三都を巡りて故郷に帰って教師になった人がゴミ漁りの道に踏み込んだのもここが発端・・・。
でも、そのタイミングは私も含めて遅すぎたのです。我々が見落としたはずは有りません。ネタが割れておれば、ヤフーのアラートと同じで洩らしたり、見落としたりはない無いのです。出ていることを知らなかったか、それが出た時には、このオークションに参加してなかったのでしょう。
 Dr.も手彫以外の消印や目打は無関心、買値も無競争の仕入れだし原価などは意識せずとも良いのです。それに、オークションなのでソコソコの結果にはなりますから。もっとも旧小判12銭の済を最低値無しなので1000円で上から下まで入れてる人もいましたが。
 爺さんの冷たい扱いを見ていると面白い話が聞けました。でも、我々の目には触れないタイミングでそれが出ていたのです。
 又聞きで推測でしか有りません。でも、恐らくは当たっている。「朝鮮字8銭・15銭の未使用」がある時にこのオークションのAの部に出て、フレッシュなNGで測った目打は12・5。若きゼネラルコレクターが幾らで入れたかは聞いてません。「まで」と書いたかも分からない。でも、値段の情報の無い時代、12とさして違いは無いでしょう。結果が出るまでのドキドキ感は有ったでしょうが。それに同じ時に1銭・20銭・1円のNGが出ていたか否かも最早探るべき術はないのです。「立太子礼記念皇室贈呈用沿革志」がもう1冊有って、かつて、海外で剥がされた残骸が流れて流通したのでしょうか。有り得ない話では有りません。運の良い、彼の名は2種の12・5を持っている人として菊のコレクターの口の端にはよく登りますが私はフルネームも知りません。
 皆が「消えた」と言っていても、ひょんなきっかけで現れるかも。そのドラマの片隅にでも参加できれば嬉しいのですが。今はその端緒すら得てません。どのオークションにも掘り出しは有るのです。そしてそれは勿論罪ではなく、また運の良さだけでなく、努力をした人が得られる果実です。
 Aの部の200ロットが消え、私も時間が無くなってオークション誌を見る機会も減りました。それは1991年の新春のフロアセールでした、写真で見て、気になるものが有ったので下見に行きました。目打を確認して、紙を見てビックリ、ルーペで調べて慎重に確認、フロアの当日までの時間が如何に長かったか未だに覚えてます。楽しいネタですし、何時か何処かで真面目に検証せねばなりません。「Dr.S・・・」がご健在だったなら、とっくにそれなりの結果を得ていたはずのものなのです。幾つかクリアをせねばならない条件が有るのですが、今なら、私が指名する相方は一人だけ、今年もJ・・・X 実行委員長の大役を担う、ナイトウ先生です。成るか成らぬか乗って見ますか?