「原版は平台?ゲーベル?」
昨日の記事に関して早速電話を貰いました。有益な資料の開示と共に一部訂正いたします。逓博での2回の展示の内、後のもの「世紀をこえた秘宝展」は2001年の国際展の直前に、テイパークにて「サマーペックス」の特別展示としてなされています。この催しの詳細は郵趣2001年7月号にカラー4ページで展示物の目玉が紹介されました。今回の記事に関連するマテリアルのみを3点、引用させて頂きます。
これではっきり判ることは、1次昭和19種完・2次昭和の内の10種が「原版刷」の無目打・白紙に小型シートの如く印刷されていた事実です。糊に関しては更なる情報は有りません。2次昭和が途中で途切れていることや、それ以前の普通切手・記念切手等の展示物から判断して、印刷の大元になる原版(平台なら25面x4・ゲーベルなら10面x10=100面の実用版の元になったもの)を用いて、最終仕上げで実用に供する直前の段階での1枚の用紙に平刷りしたものを、昭和19年の年初ぐらいまでは然るべき場所に保管していたのでしょう。児玉氏の話によれば、内閣印刷局は戦災で全焼し、恐らくは資料も燃えたらしく、逓信省かどこかに保管されていたものが、今は逓博の4階(地下でなく)の保管室に厳重に収納されているらしいのです。実用に供された印刷形式が、凹版・凸版・平版(平台とゲーベル)・グラビアを問わず、実際に用いられた「原版」の1枚刷りで本当の色鮮やかな最初期印刷なのでしょう。
問題は1次昭和などの、実用において、平台とゲーベルを併用した場合ですが、みほん切手の製造思想から判断すれば、逓博保管の「原版刷」は最初の版式の原版のみで刷り、両方の版式原版では作ってないと考えていいでしょう。1枚刷りなので、シリンダーの輪転機にセットしたから「ゲーベル」という分類をしているのでなく、窓口シートとしては、ゲーベル機で印刷されて全型目打で穿孔された100面シートの元になった原版を用いたものを「ゲーベル」と表現しているのです。ここらは解説の必要もない基本のルールです。まさか誤解される人はいないでしょう。
ここで面白い要素が出てきます。同一額面で平台・ゲーベルが存在する物の場合、我々は一般的には縦寸法の長さで判断します。印刷時にドラムに巻きつけ印刷なので、結果としてゲーベルの方が0.3~0.5ミリ程度長いのです。この差はかなり顕著ですし、時期の違いや刷り色等の要素もあって分類は然程困難では有りません。実務上は、特に銘10やシートでしかする意味がないし、これは目打違いで100%判ります。但し、「プラハの乃木」は事情が違います。原版刷は正規の機械に掛けてない1枚刷りなので、原版段階では、平台よりゲーベルが幾ばくか長いとは言い切れません。
別項目で書きましたが、慎重に現物からサイズを計測した結果、
5厘・1銭・14銭が 18・2x22・3センチ、 2銭・4銭が18・1x21・8センチでした。日専のデータを引用すれば、
ゲーベル 5厘・1銭 18・5x22・7センチ、 2銭・4銭 18・2x22・3センチ
平台 〃 18・5x22・5センチ、 〃 18・2x21・8~21・9センチ
になっています。2銭・4銭は出現日はゲーベルが先なので、当然の如く「プラハ・・」はゲーベル原版使用の1枚刷だと思ってました。でも、これだけの長さの差が出て、児玉氏の表現で言うならば、「平台の最初期」の特徴が出ていることと、プラハ展の開催がS13年6月26日~7月4日で、2銭の平台の出現期がS13年2月、4銭がS12年11月なので、「プラハの乃木」を作ったのが開催の数ヶ月前だとしても、平台原版で刷ったとしても矛盾はしないのです。最初の原版でなく、手元に有る物でも刷ったと考える方が自然です。
他の3額面を検証します。「たんぶるぽすと」の山崎好是氏の記事では、私の情報の引用として、5厘・1銭・14銭はゲーベルと断じてますが、その根拠は見出せません。14銭の場合は、実用版式がゲーベルしかないので、ゲーベル原版で良いでしょう。ただ、14銭の銘10を10点程は測りましたが、概ね18・3x22・8センチでした。推測ですが、原版1枚刷と100面実用版でのゲーベル機での印刷された切手では0・5ミリ程縦寸法に差が出るのかも知れません。この縦寸の伸びの理由に言及するのは事態を複雑にするだけなので今は避けておきます。これは推測以上に的確に検証する術はないのです。
ならば、5厘・1銭の原版は平台なのかゲーベルなのかどちらなのでしょうか。14銭を基準に考えれば原版より発売切手が0.5ミリ程伸びるのでゲーベルかも?ではここで出現期に注目したいのです。両額面とも発売当初は平台です。5厘のゲーベルの出現はS14年5月、1銭のそれはS15年3月です。1年以上プラハよりも後なのです。仕上げた原版を1年以上も放置は出来ないでしょうから、この要素を重視すれば5厘・1銭は平台原版になるでしょう。
2銭は「乃木に魅入られた人」に納まり、5厘・4銭・14銭は「昭和に魅入られた人」の手元に有って、夏の台湾展のフレームの中で目にされた方もいるでしょう。折あれば改めて、この4額面が平台かゲーベルかを論議したいと思います。そして、只今フリーの最後の1点、「1次昭和1銭」は平台なのかゲーベルなのか、そのサイズの意味は、出現期の矛盾もクリアして、いずれの版式の原版刷かの証明を、説得力を持って出来るのは、現物を入手できる方お一人だけの権利で義務なのです。そしてそのチャンスはどなたにも有るのです。11月の弊社セール、第42回フロアセールのラストロットとして、売りに出しますから。
次回は目打を検証します。切手の周囲4辺を一度に打ち抜く「全型」ですが、並べると面白い要素が見えて来ています。
郵趣2001年7月号(2.60MB)
「逓信博物館所蔵品」
プラハの乃木の記事を書くにあたっての資料収集をしてましたが、既に手に入ったもの以外は差し当たり出て来そうに有りません。「稲刈り1銭」は日専の広告にも使っており、11月のセールのラストロットで売りたてます。そのタイミングを考えて第1弾のレポート以後に判明したことを数回で纏めます。
児玉氏の本に引用された、切手趣味70巻4号のおまけ頁の乃木2銭「無目打」小型シートの素性が気になってました。プラハのものとは、似て非なるもの。でもこの現物は確かに逓博に所蔵されており、当局の意図によって作られたものでしょう。
児玉氏が尽力してくれて、逓博の担当者から、関係しそうな所蔵品の写真を貰ってくれました。14枚、地下かどこかは判りませんが、今現在の所蔵されてる状態そのまま?の物も含めたパネルに貼られたモノクロ写真をFAXしてくれたものです。
逓博の特別展示は目的や規模の大小の違いは有っても何度も行われています。1991年のPHILANIPPONの後に「ていぱーく」でなされた「秘蔵切手資料展」は郵趣1992年2月号にレポートが載っております。今回のFAXの資料は、恐らくはさらにそのあとの2回の展示会?に出された様なパネル状態のものです。「日本切手の20世紀(1)(2)(4)」、「サマーペック特別展示・世紀を超えた秘宝展」の標題がついています。
その品目は有名な、不発行4完シート、震災切手20面シート、貯金切手実用版試刷・・・・・・。ただこれらは今回のテーマから外れるので詳しくは触れません。注目したいのが、2件の資料に共通して入っている、1次昭和19種・2次昭和10種と思われる、小型シートなのです。ご覧の通りの、ボケボケですので推測するしか術はないのですが、「・・秘宝展」と「・・20世紀」に使われたマテリアルは共通、「秘宝展」にはコンパクトに無目打小型シートだけを並べて、現在は「20世紀」の場所に、一部は原画写真的なものと並べて、元に戻して保管されているのではないでしょうか。
1次昭和は発行された19種完、2次昭和は昭和19年1月8日発行の3種(20銭・30銭・40銭凸)までの10種、見事に時系列に並びます。現物を見てませんし、「サマーペックス・・」で当然見たであろう人に聞いても、決定的な答えは得られませんでした。ただ、このデータを積み重ねれば、当時の逓信省か印刷局の意志として、少なくとも我々が「昭和切手」と呼ぶものに対して、実用版=100面にする以前の、印刷原版を用いて、最終の段階で、発行する切手と同じ刷色で印刷したプルーフを少数作り、保管していたと考えています。写真で見る限り、無目打で、恐らくは透かし無しの上質紙で糊は引かれてないような気がします。
この推論が当たっているならば、用いられた原版は、窓口から売られた切手の版式のうちの最初に発売されたものと同じ、1昭で平台とゲーベルが存在する、5額面の内、2・3・4銭はゲーベル、5厘と1銭は平台の原版が用いられたと考えられます。
ここで、「プラハの乃木」に入るのですが、1昭5額面の版式は当然のように最初の版式=乃木・東郷はゲーベル、朱印船・稲刈りは平台、(春日大社はゲーベルのみ)と思っていたのです。売った私も、買ってくれた「Mr.乃木」と「GOLD 昭和」氏も。
この続きは次回です。
世紀を超えた秘宝展(3.88MB)
当コラムで書くべく準備していたテーマで、国内外の多くのご協力者からの資料を精査していました。この程、意外にも突然に「月刊たんぶるぽすと VOL29 No9]に私が6月に作成し、お世話になった方10名程にお送りしていた資料を元にした記事が掲載されました。そのこと自体は、「資料提供者」「筆者=編集者」と、私との日頃のお付き合いの緊密さ故に目くじらを立てる必要も有りません。
ただ、幾つかのポイントでの事実誤認の訂正と、将来引用情報として使われることを考慮に入れての検証が必要です。あらゆる伝手を辿っても記事には有っても文章以外には姿を見せていない「航空切手組み合わせ小型シート」=制定シートの存在は?1次昭和の版式が平台かゲーベルか、打ち抜き全型の目打形式などなど。
このマテリアルがオークションに出品される数ヶ月前、今年の年明け直ぐから情報を海外から貰っていましたし、セールの後も出所を追っています。その後のプライベート・トリーティーやら、「日専」2006年版の見開き広告など、情報を一番持っているのが私なので、分析して検証記事を書きましょう。
やっと終わった「日専」の巻末の11ページの記事はここでは出せません。これはJAPEX直前に発売されるので、そちらでお読みください。会場での「平気の2割引販売」を待つと、時代に遅れるかも知れません。
本論に入る前に、「たんぶる・・」誌の記事の元ネタを載せておきましょう、現物を入手して、ご協力者に提供して貰った文献を基にして書いた資料です。6月に一気に書いてますので、不十分な面も多々有ります。じっくり時間をかけて表現いたします。
表題は、やっぱり「プラハの乃木」が良いでしょう。幾つか画像を入れながら。でも、もう売り物は1点しか残ってないのです。
プラハの乃木(2.43MB)
台風も通り抜けたので、「博多」行きの荷物の発送準備を済ませました。
九州の有力なディーラーさんからのお誘いがあり、動けるスタッフもいるので了解したのですが、いざやるとなると随分エネルギーがいるのです。
実質1日だけの即売会ですが、物は大きいダンボールに13個、ボストークの単片だけでも30冊ぐらいになりそうです。今は大阪のバザールでしか売ってないので、殆どの方は初見のものだと思います。狙いを定めて上手にブックを手に出来れば、ご希望のものも有るでしょう。付けてる値段はプロの催事屋でないのでいい加減な物ですから。
スペースがテーベル4本なので、当然はみ出してしまいます。幸い対面が、「S・S」くんなので、そこの空きスペースへも侵略してるかも知れません。
誘ってくれた人のリクエストで、自分の在庫は九州の絵葉書やさんが、ウンカの如く食い尽くしたので、是非それを持って来いとのこと。ご希望の。明治の美術葉書は有るかどうかは知りませんが、新規商品で量だけは十二分に準備しました。こちらは椅子に座ってゆっくりとは、無理な相談なので、地べたに座って箱ごと抱えて漁って貰いましょう。それでは、土曜日にお目にかかりましょう。
「三頭身のこの人どなた?」
台北国際切手展 8月19日~24日の会場に出現した異形のコミッショナー。
たった今、帰って来たばかりです。書いたの誰~れ?
「W・D・」
オークションのビッドも順調に来ています。値段もそこそこですし、ほぼ面子も何時ものペースで出揃いつつ有ります。フロアのメールビッドの受け付けはフルにあと2日、現状では約7割位の感じです。ビッドシートと一緒に、時々有益な情報を戴きます。それも極めつけの説得力を持って。無条件に受け入れることはしませんが、十分精査しての参考にはさせて貰ってます。
Lot 519 風景2銭 櫛 第二野戦局 7・4・29 上海事変の時の局で呉松(サンズイ)。
有料便も有っては不思議でないけれど、普通ならちょっと難しいかもしてません。この指摘だけなら、不十分。でも、製造面での疑問がプラスされれば説得力が増すのです。台は「ゲーベル」、出現は7年6月頃の東京のはず・・・。指摘してくれた方のコピーと、弊社のロットと同じ印象のものなのです。掠れと歪みプレスの薄さで、「コピー」のような顔つきです。
Lot 3258 大白5厘貼りの第3種中身付き 櫛 東京中央 3・3・23ある人が、18年前にどなたかに差し上げたものの現物で、そのものズバリのコピーをお持ちだったのです。だから、使用前と使用後で一目瞭然。「一文字半」に化粧がなされてます。だからコレも「W・D・」ご指摘を感謝いたします。
「WANTED]
画像が使えるので、ちょっとお遊びをしてみましょう。菊のコレクションの出品物に入っていたものです。メモ書きで、{郡山 42・7・12 残り1枚探していたが15年間出てこない、下部に接続の横ペアは存在する}。
第1種3銭料金の時の5厘6枚貼りの後期使用。6/6の内の5/6が出てるので、後の1枚も遠くないところに有るでしょう。{櫛郡山42・7・・・}の単片をお持ちの方は是非ご連絡いただきたい
のです。菊や大白軍事の欧文CTOもペアになるものも有るようです。
でも、こちらは単独でも生きられます。
5厘の「鍵型」は今のままでは可哀相。名乗り出てくれた方に最大限のアドバンテージを差し上げましょう。
「立ち枯れた松」
今回のセールの表紙の「霧の中の鹿」、又聞き情報ですが、だいぶ前に九州の南の方の郵便局で見つかって、関係者5人で縦2列に分割されたとか。時効?なのでその一部が最近出て来たとのことなのです。図版で判るとおり、最上部が半分色抜け、90枚は完全に1色抜けです。理屈では100枚丸残りで今後もドンドン出てきそう?でも、価値を的確に知ってる人達ではないし、既に年月を経て、20枚お持ちの5人も散ってしまって連絡がつかない状態なので、業者が押さえての「分割販売」みたいにはなりません。良くて2人分、分母は40が精々でしょう。
2色刷りの1色抜けは、地図10銭、尾長5円、桜10円は見落とされて、窓口から出た雰囲気です。でも、見れば判る、その後のエラーは何れも、局まで来て、売りに出される寸前でストップがかかって、「関係者」が額面で押さえているのでしょう。毬藻55円・新金魚7円・鹿10円がそれに当たります。
発生の原因は、2色刷りの後印刷の色を刷る時、紙がカブッタカ何かで、一部が無印刷で完封の中の1シートとして紛れ込み、上部は正常なので印刷所のチェックの際は上部の一部を見て、OK扱いになったのでしょう。ただ、派手なエラーなので局員は気づくし、窓口からは出ず・・・・、ま、その後はご愛嬌で、その立場に居られた人の僥倖を妬んでも意味の無いことなのです。収集家とすれば、有る物は欲しいし、業者の立場なら、扱って見たいと思います。
部屋を整理していたら、コピーが出てきました。15年ほど前に旧知の人の紹介で、「元郵便局長」さんがお持ちで、そろそろ出して良いのかなとのご相談でした。上から5列は正常、6列目は半抜け、7~10列は全抜け、何れも「緑漏れ」、ネーミングは常緑樹の葉っぱ落ちなので、「立ち枯れた松」。
その時の相場でもかなりの数字でオファーしたし、今数字を出すとしても、同じ値段を言うでしょう。完全な無目打シート位の値段を付けたのですが、まだ時期に非ずで残念ながら成立せず。出て来たとは聞いてないので、まだそのままの状態なのでしょう。「霧の中の鹿」の結果が出れば、そろそろ再チャレンジしましょうか。15年と言えば、全てに於いて「時効」になっている期間なのですから。
[支那字入大白 三ツ星消」
膨大な量のディーラーズストック=アキュムレーションの整理は簡単には進みません。
誰かと話をしていて、確かに見たはず、と思っても、紛れ込んでいて出てこないのが多いのです。
売ってはいないので、どこかに有るし、見つかったものから順次商品化しています。
業者の競りの時は誰も良く見てなかったのですが、グラシン袋に発行順に並んだ、消印ごとのロットが有りました。大白4銭は1000枚程が目打ち別に分類されていたり、富士鹿の為替記号が「南」「連」ばっかりの袋とかも有りました。バザールまでに300円~500円の物ならば、多分、山程増やせるでしょう。
チョッと面白かったのが、支那字入大白20銭、目打がL12、C12x12・5、C13x13・5と揃ってました。同じ雰囲気の加刷なので、字体を詳しく見るまでもなく、偽加刷です。でも、かなり出来が良く、未使用や、SHANGHAIの欧文で、C12X12・5ならそのまま通用しそうな出来映えです。消印は全て櫛型非郵便の三ツ星消、局は外れて不明です。
この感じの加刷は、昔から、20銭と1円に有るのです。20年ほど前に、国内のオークションに2額面が続いて出て、その頃一生懸命、田沢を集めていたいた人に意見を聞かれました。実際に字体のみで判断すれば迷います。あの時は鑑定を薦めたのですが「鑑定」結果も私のそれとは異なったものだったと聞きました。関係者は既にこの世界にはいないでしょう。
消印が三ツ星なので、それを基準に考えるのです。字入りの使用地区は、「中国本土」「満州=中国東北」「山東半島」にしか有りません。例外的な持込やパクボーは低額の基本額面に限られます。だから、20銭、1円の三ツ星が使われ得たのかを分析せねばなりません。
大白なので、使用期間は大正2年後半~数年間に限られます。「中国本土」は明治40年5月~大正2年3月まで、「山東半島」は昭和3年の済南事変の軍事印にだけ、「三ツ星」は使われてます。でも「大白」期間とは重ならない。この2地域の場合は使われた可能性はないでしょう。「満州=中国東北」は三ツ星は全期間を通して使われてます。、でも字入り切手自体が、明治39~41年の約2年以外は「配給」されていない雰囲気です。だから字入大白は無理で
しょう。ただし無加刷は、1円の大連吾妻橋などは、最も多く目に付くものかも知れません。もしコレに加刷をしたならば・・・。
だから私の考えでは、「字入大白・三ツ星」は字体を見る前に、まず疑って手を出さないようにしたいのです。それに三ツ星で、局名が判るものは見ていません。問題になるのは、1円と20銭、そしてこの理屈は、「櫛型和文時刻入り」にも共通するデータです。もし、該当のものをお持ちなら、慎重に再検討された方が良いだろうと思います。参考までに、今回見つかったものの画像を載せておきましょう。

「闇に消えた丹頂鶴」
画像が使えるので書けるテーマの幅が広がります。某オークションのモノクロ写真、瞬間に反応出来る人が何人いるでしょうか。私はセール中でなく、終わった後に気づきました。然るべく筋を当たっての結果ですが、少なくとも3人の人が反応しています。
オークションの記事は2次円位100円銘付10B 連櫛 NH 最低値 8000
最終の確認は取れてませんが、2番札が60000円、落札値はその上です。高いというか、安いのか、実に中途半端な値段です。
この切手の場合、確認されている目打形式は3種類、「連櫛逆二連1」が普通で、「下抜全型7つ穴」が続き、「連櫛正二連1」はかなり少ないのです。そしてこの3種の場合、銘10状態では、右耳に1抜け、下耳も「抜ける」のです。一見すれば同じように見えるのですが、特徴を押さえれば、分類にはさほどは苦労いたしません。横目打ちの上・下のズレで、「逆・正」、下耳の余白がなくても全体の乱れで「全型」の区別は容易です。、画像のものはどうでしょうか。右耳を無視して全体図で見れば、「全型」のように思えます。連櫛の安定感と、それに2段抜けの特徴も無いのです。だから「下全7」のバラエティー?
でも、なぜ右耳に抜けが有る?現行の100面シートの縦型切手の場合、正櫛・逆櫛・連柵・横波・ロータリーを含めても、横耳に完全抜けは無いはずです。大仏80円のそれを流用したにしても、8段目の右耳は途中までしか抜けてません。他額面には存在していない「新目打」かも。
写真で見つけて、わざわざ、5月13日に下見に来た人がいたのです。でも、この日には、右耳抜けの現物がなく、シミの有る、逆二連の現物を見て、「写真のエラー?」と思って、入札もしなかったと言ってました。それに、この目打は有り得ない。あるべき物が無いのは「エラー」、無いはずのものが有るのは「作為」の可能性も有る。現物を見て、コピーでも残してくれていれば良かったのですが。私は直感では、ポジティブに見てますが。
実際の素性はどうなのでしょうか、スクリーンや糊でも、もう少し絞込みが出来るのですが如何せん今の所在が不明なのです。是非、首尾よく落手された方の発表を待ちたいのです。知らなかった人が遊びで買える値段では有りませんから。「闇に消えた丹頂鶴」では余りにも勿体無いネタなのです。